雑誌ができるまで #1 「特集」を決める

vol.2 | 2022年4月15日

雑誌『NEUTRAL COLORS』を制作する編集者・加藤直徳とデザイナー・加納大輔は、その制作方法について聞かれると「自分たちのやっていることは、何も難しいことじゃない。ただ多くの人が諦めることを、ゆっくり時間をかけてやり続けているだけ」と答える。NEUTRAL COLORSのPRを担当する私が見ていて思うのは、彼らが自分に嘘をつかずに働いているということだ。しかも、格別に楽しそうに。

第4号は「仕事」を特集するという。BASICでは、彼らの働き方を、雑誌ができるまでを追う形でドキュメントする旅に出よう。初回は編集とデザインが融合した制作方法と、特集が決まるまでの話。

馬鹿馬鹿しさを突き抜けて
感動にまで持っていく


──『NEUTRAL COLORS』はほぼ2人でつくられていますが、企画会議的なことをしているんですか?

加藤:まったくしないです。雑談の中から企画が生まれてくる感覚です。

加納:編集部でずっと隣に座っているから、話していて自然に「こういう人いますよ」「それいいね」というようにアイデアがだんだん広がっていきます。

ほぼ2人の編集部

加藤:ネットで検索して企画を考えることもしません。それはこの雑誌の最大の特徴が「個人的であること」だからです。自分や自分に近いところを起点にして考えていく。大筋を決めて焦点を絞っていく。

加納:検索で引っかかる時点で、誰かがそれをピックアップしていますからね。引きのあるコンテンツや作家を他の媒体と取り合う情報戦をしても、既視感があるし面白さに欠けます。

加藤:このスタイルは、以前に旅雑誌をやっていて、正攻法のつくり方を経験したからこそたどり着いたとも言えるかもしれません。特集する国や地域やテーマが先に決まっていて、ページ構成を考えるときに、衆目を集めるエリアや作家を散りばめて「自分以外の人に引っかかればいい」と思いながらパズルのように埋めていく作業をしていました。自分はあまり興味ないけど、みんなは好きだろうな、という視点で。NCの場合は、自分の興味以外では企画が思い浮かばない。ネタを探すやり方ではなく、毎日の余白の中で読書をしたり映画を観たり、人と話したりして、自分の身近なところから考えています。

──第2号の学校特集はまさに身近なテーマでしたね。

加藤:そう。娘が小学校に入るタイミングで、学校に興味が湧きました。娘の学校についてもそうだし、かつて自分が通っていた学校についても考え直したかったから。加納くんに「学校が気になる」って話して「そうですね」、以上、みたいな。

──企画が閃いたら加納さんに伝えるだけなんですね。2人は編集・デザインとそれぞれの役割がありながら、境界を超えて会話をしている気がします。

加納:NCのつくり方は特殊で、オフセット印刷とリソグラフで刷るページを混ぜているから、どのページに配置するかによって印刷方法が変わってくる。絵で操作しないとわからない部分が多いんですね。普通の雑誌はレイアウトや印刷の条件が基本的に同じだし、言語で構成できるから台割も編集者が考えますが、NCの場合はデザイナーの僕が考えているし、役割の境目は溶けています。

加藤:台割が複雑で加納くんしか触れない。未だにルールがわかりません。デザインは100%加納くんに委ねています。実は自分としては「デザインを委ねる」という行為はとても勇気のいることでした。綿密にラフを描いて構築したいタイプだったので、自分でコントロールできないことに不安はありました。

加納くんだけが管理できる台割と束見本

──どうやって不安を解消したのですか?

加藤:うーん、そうですね。加納くんが創刊号のダミーブックを全ページデザインして持ってきたときに「ああ、もう任せよう」と思いました。自分の知っている、コントロールの範囲を優に超えていたんですね。昔のオマージュでもなく、現代っぽいデザインでもなく。一冊を通して流れで見せていくデザインにヤラれました。

創刊号のダミーブック(一部)

加納:デザインに関しては、ドキュメンタリーを題材とする場合、できるだけ客観視して読者に解釈を委ねるよう、余計な要素を加えないのがセオリーです。ただそれも演出されていないように見えて周到な操作が介在しているものなので、たとえば必要な写真と文字だけでシンプルに構成されているページも、レイアウトや流れでしっかり操作されていたりします。NCはむしろその逆のスタイルを取っていて、過剰なデフォルメや演出的な仕掛けをあえてふんだんに盛り込み、型にはめることで見えてくる部分を探っています。

──なるほど。見開きごとにポスターのようでもあります。

加納:とはいえそれを皮肉っぽく見せるというより、馬鹿馬鹿しいスタイルを徹底的に突き抜けて表現することで、感動にまで持っていく方がNCらしいなと。編集はもちろん加藤さんだけど、企画に対して、ここは全部絵にして文字を外せばリソグラフのページにできるとか、僕もビジュアルで編集している状態です。2人でやるって決めて、2人にしかできないことだけでつくると、こうなるんです。

──デフォルメといえば、3号で立教大学の応援団の話が書かれている「その男たち、学ランにつき」のページ。キラキラのビカビカでしたね。

NEUTRAL COLORS 3号より

加納:リソグラフのゴールドのインクをつかっているページですね。応援団は勝負がないからこそ無限に練習するしかないという、究極の形式美の文化が満ち満ちています。不自由で馬鹿馬鹿しくて、超体育会系なんだけど、それゆえに危うさと感動が同居している。デザインを考えるうえでイメージしたのは、軍国主義、三島・横尾的グラフィック、漫画やサブカルチャーに流用される日本的な象徴。具体的にはセンターで揃えたレイアウトや、日章旗にもギャグ漫画のコマ割りにも見える放射状のラインの使用などです。

──本当だ……。全体的なビジュアルの激しさに目を奪われて、細かい部分は気づけなかったです。

加納:リファレンスとして戦時中のプロパガンダの雑誌があったりもします。どのような構図でレイアウトしたら闘志を奮い立たせることができるかが、デザインの力で成り立っていてぞっとするけれど、正直かっこいいとも感じてしまうんですよね。そのスタイルを子どもっぽく「最強」を象徴するピカピカのゴールドとか、応援団の彼らがおどけて見せるコミカルな表情と重ね、戯画化したり本来の文脈から少しずらしたりしています。そうすることで、デザインによって政治的な力学がいかに作用しているかを顕在化して、解体することもできる。けれど、彼らのパフォーマンスへの真剣さと、自信や誇りをゴールドのきらめきに託してもいて、デザインの両義的な作用に迫りたいと試行錯誤しています。そうした裏テーマはいろいろあるけれど、すべてが伝わらなくてもいいかなと思いながらつくっています。

加藤:それは編集的にもあります。ストレートに場所とか事実をそのままの意味で伝えようとすると、情報過多になり確認作業で終わってしまう。印刷やデザインでダブルミーニングを「わかりづらく」隠すことで、裏テーマにフォーカスが当たるようにする。隠しアイテムみたいに一読するだけでは気づけない毒を散りばめています。発見できない人はそれでいいし、数年後に気がつくのでもいい。まあ、だから親に褒められるような雑誌じゃない。

加納:雑誌はいろんな人を巻き込んだり、不意な出会いを誘発して広がっていくものだから、丁寧なドキュメンタリーや書籍と違い、ピエロのようなパフォーマンスを必要とするときがある。サーカスやテーマパークやB級映画に連なるマジカルなトリップ体験ですね。それは文章でも編集でもデザインでも、NCは自覚的にやっています。塗り重ねた意図が何周か回ってピュアになっている状態が一番理想的ですよね。

3号の唐木元さんのページより

まみれていく手前のモラトリアム
正直、めちゃくちゃ楽しい

──4号の特集は、いつ決めたんですか?

加藤:1〜3号までつくってきて、NC自体が収支的に仕事になるかならないかを考えるタイミングでもありました。コロナもあって外注仕事はほとんどしていないし、この先雑誌をつくることだけで仕事として成立するかを、より鮮明に意識する時期でした。やべー、続けられるのか?仕事として!と。それで自分たちと同じような働き方を高いレベルで続けている人に会ってみたくなって、「仕事」特集にしようと決めました。あとは、娘に聞かれたこと。「パパはいつも本読んでるだけだけど仕事は何してるの?」って。ドキッ!みたいな。

──なかなか鋭い質問。それを雑誌にして答えようと。

加藤:最新号をつくっているときに、次号の企画がいつも降りてきます。加納くんに話した時点であらかたコンテンツのイメージがついている。いろんな職業を紹介する仕事集とか一切考えず、自分の身近な人の中で気になる人を挙げていきました。それに加納くんが個人的に考えていることをプラスしていく。

加納:雑誌の仕事特集というと、面白い仕事ややりがいのある仕事のキラキラした面がフォーカスされますが、お金を稼ぐというリアルな問題や労働条件への不満など、多くの人の興味は実はそっちなんじゃないかと思ったりもします。加藤さん自身が雑誌だけで食っていけるのかとリアルな問題を抱えているので、内容が生々しいものになって面白そうです(笑)

──特集を決めたあとは?

加藤:裏テーマ(自分の中では表なんですけど)、いわゆる“裏テー”が同時に増殖していきます。仕事特集でありながら、仕事についてまずは真正面から考えない。「働かない」とか「資本主義の終焉」とか「脱成長」とか周辺をなめていく。表向きの「仕事」特集とダブルミーニングになっている構造を練り上げていきます。そこは感覚の部分だから決まったやり方とかはないんですけど……僕の場合はまずは書きだしてみます。自分を中心に、社会と近しい人の「仕事」を無作為に書いていく。あとは、生活に考える余白をつくることです。普段から雑誌以外のことは特に何もしてないので。余白がないと思いついたものを正面からしか捉えられない。裏が見えないんですね。

──余白を持つ。仕事や予定をこなす毎日の中でふと「何も考えてなかった」と我に返ることがあります……。加藤さんは、娘さんが指摘するくらい本を読まれていますが、今読んでいる本が気になります。

加藤:障害者の働き方や、ベーシックインカムについてを重点的に読んでいます。『資本主義だけが残った』『AI時代の新・ベーシックインカム論』『みんなにお金を配ったら ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?』『障がい福祉の学ぶ働く暮らすを変えた5人のビジネス』などです。読むだけでなくキーワードを抜き出して、類似書に次々と手を出していく感じですね。だからこの時期、特集に関係のない小説やエッセイはデザートみたいなものです。特集の参考にするためではなく、普通は企画にしないものを考えるためでもあるんです。SUVに乗りながらエコバッグを持ったり、貧困問題のないところで教育の助成金が使われたり、みんなが素通りしたり目を背けるものに気がついて、引っ張り出すために必要です。そして雑誌のためでもあるけど、今の時代を生きている自分が一番興味のあることを誌面に反映させたいからでもあります。

──ベーシックインカムについては、このBASICとまさに密接に関わる話題ですね。

加藤:元から知ってはいたけど、これを機に改めて学んで誌面の企画にもしようとしています。世の中でベーシックインカムがなかなか成立しない理由は、人間の深層心理として順位をつけたくて、みんなで幸せになるのが嫌な人もいるからという説があります。各国の社会実験と歴史的な背景。そして人間の本質。著者によっても視点が異なっていて、データ主義で実践的に見る人がいたり、感情的に迫る人がいたり。気候変動とか資本主義についてもそうですね。

──誌面にするときは、複数いる著者の中でどのように人を選ぶのですか?

加藤:読んだ本の著者に出てもらおうということではなくて、自分ごととして置き換えたときに取り上げる対象が浮かんでくる。自分に置き換えてはじめて企画の種となる。直接的にベーシックインカムに触れていない人でも、NCの文脈ならこの人、というのを見つけます。だから半分実験で、どんな誌面になるかわからないけれど、プロットづくりは突拍子もないものにしたほうが絶対に面白くなります。そうやって今制作している号のことを考えながら、次の号に向けて本を読んだり、映画を観たりしている。だから正直、この時期はめちゃくちゃ楽しいんですよ、毎日。一人だけど(笑)。取材や原稿にまみれていく手前のモラトリアムですね。

──最高な毎日ですね。ちなみに加納さんはいまどんな本を読んでいますか?

加納:Ruben Peterの『CAPS LOCK』という本を読んでいます。資本主義とグラフィックデザイナーがどのように関係してきたのか、批判的なトーンで書かれた内容なんですけど、広告批判やブランド批判はもちろん、きらびやかなフリーランスという働き方の神話が奨励される新自由主義的背景や、ソーシャルグッドなデザインがデザイナーの名声と賞賛を高めることに利用され、既存の搾取的な構造を温存するだけといった厳しい指摘に刺されまくっています……。デザイナーとしての働き方を考えざるを得ない本ですね。

加藤:『CAPS LOCK』は注目してました。が、英語なんですよね……。海外では有名だけど邦訳されていない本がたくさんあって困ります。特集がふと浮かんで、加納くんに話して同時に2人が別ベクトルで考えだします。読む本も違うし、世代も付き合う友人も違う。バラバラの視点が「仕事」というテーマで「余白」の中に放り込まれていく。紙幅の限界があるからほとんど形にはならない。毎号、とんでもない無駄が生まれるわけです。その無駄すらもBASICの記事として残していきたい。だって、それも含めてNEUTRAL COLORSという雑誌の一部だと思うから。

「特集を決める」を終えて

そういえば、加藤さんが突拍子もないことを口にするとき、加納さんが否定しているのを見たことがない。むしろそれを上回るようにぶっ飛んだことを言い出して、この人たちはどこに向かうんだろうと思っている間に、宇宙みたいな雑誌が生まれている。それらを感覚的に尖った形で実践することは簡単だけど、企画がダブルミーニングになっているとか、デザインの両義的な作用とか、緻密な計算が裏にあるから『NEUTRAL COLORS』は雑誌を超えた「作品」として深みが出るのもしれない。なんだか鳥肌が立ってきた……では第1回目はこのへんで。

text: Mitsuki Maru